博貴、お誕生日おめでとう。
最近の博貴のことはなにもわかりません。誕生日ぐらいしかわかりません。
一応、肩書きとしてはかんじゃにえいとと博貴とスーパージュニアとえふえっくすのかけもちを名乗っているにもかかわらず、これではしめしがつかないので…
そろそろ、現場行こうかと…思いつつ。
先日Zepp名古屋の横を通りました。あれは何年前だったか、はじめての遠征が博貴のライブだとは思いもよらず…なぜだったかはもうあまり覚えてもいませんが、必ずこの目で見て、この耳で聞かなけばならないと思った、最初の時でした。
たしかその前の大阪公演でわたしの感じたのとまったく違うレポがツイッターで回りに回っていて伝聞のこわさにゾッとしたんだったか。
人の目を通して見るのはこわいなと思った最初。
って、自分の目を通して見たことばかりここにたれながしているのは誰です?
まあそういったことも名古屋にいて思い出したりして、わたしの口から出ることはもうもれなくすべてが昔ばなしだけれど。
わたしにとって錦戸と内が一緒にいた時代は、ほかになくきらきら輝いていて
短かったからこそ輝いて見えるのか
儚かったからこそ輝いて見えるのか
それともほんとうにいちばん輝いていたのか
もはや、自分では判断がつかないが。
今でもたまに見返しています。空をつかむ。
この昔ばなしには発展がない。
いつ話しても同じ内容。当たり前ながら。
(以下、あまりここに書かないようにとは思ったけど文脈上しかたないのでちょっと書いちゃいます)
うまい具合にちょうど手が届くように見えて手が届かなくなってしまった、どこへ連れて行かれるのか行方の見えないレールの上にもう乗ってしまってこちらに名残惜しそうなかんじゃにえいとのこと
博貴はまだ恋い焦がれてますか?
そういった現状の確認のためにもやはり近いうちに現場に行かなければと思います
待っててね
わたしはまだ、マーメイドが観れません。
呪縛がとけたというのは気のせいなのかもしれません