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1年1ヶ月ぶりの現場で受けた衝撃と

ライブから感じた 「Note」の 勝手な解釈

 

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最後の現場が2020年2月16日だったので、丸1年1ヶ月ぶり

亮ちゃんに会うのは1年4ヶ月ぶりでした。

 

もう一回生まれた気がしました。

15年現場に通い続けて、

たった1年 間が空いただけなのに、

もうわたしは、現場のない世界に慣れていたのだと気づきました。

そしてひさしぶりに生で歌われたら、ほんとうにびっくりした。

「はじめてライブを観たひとはこんな感じなんやろうな」と思った。

(私の実際の初現場は2005年5月、事務所制作の舞台だったので、今回感じたようなセンセーショナルさはあまりなかったけれど)

 

アルバムが出て、アルバムを買って、わたしはそれなりにアルバムを聴いていたつもりでした。

それなのに、ほんとうに なにも わかってなかった。なにを歌っているのか。

なんでNoteにTokyoholicが入っているのか

聴いてたはずなのにまったくわかってなかったことが、

たった1回 生で歌われると、その場でまざまざとわかるんだということを知りました。

 

1年1ヶ月 現場に行かなかったこと、行けなかったこと(亮ちゃんは8月にファンミをしているので、その時行こうと思えば行けましたが、行かなかった)

苦しかったけれど、

1年1ヶ月空いたことで、このことに気づけた。

生で歌われるってこういうことだったのか、と思った

自分がずっとライブに通っていたほんとうの意味を思い出すことができました。

とにかく驚いた。

かならず生で歌おうとする亮ちゃんは絶対に正しい。

そんな革命的な夜でした。

 

 

さて、そんなライブで亮ちゃんに生で歌われてわたしがその場で気づいてしまって途中から泣いてもう涙がまったく止まらなくなって大変だったNoteの

勝手な解釈を..

これは勝手な解釈です。検索よけしようかとも思いましたが、とりあえずせずに載せるつもりです

 

だって勝手な解釈なんですけど

それこそわたしは家で聴いてるわけじゃなくて

家で聴いててぜんぜんわからなかったことが本人に生で歌われてそう思ったということなので..

勝手は勝手でも妄想じゃなくて感じとった勝手だと..

この論理がもっとも勝手ですが

 

前置きはこのへんにしておいて

 

1. Top note

 

2. Tokyoholic

わたしはNoteになんでTokyoholicが入っているのか、わかりませんでした。

ずっと、なんでやろうって思ってました。

ライブはアルバムのセットリスト通りに進んで、Tokyoholicを聴いている時も、まだ思ってました。

だって、もうTokyoholicは、今の亮ちゃんの気持ちじゃないはずです。

「上から見んなよこっちも必死なんじゃ」

って、"わたしたち今、下から見てるしなあ"と。思った。下から見ながら。(※Zeppなので、2階席もありますが、大半が下から見てます。)

下から見てるから、ますます、なんでやろうって思いました。このとき。

 

 

3. キッチン

4. ハイボール

(本筋とはあまり関係ないですが)

常に自分のこととは切り離して聴いていたこれらのラブソングもわたしたち(「わたし」ではない)に歌われてるみたいに思うからライブってすごいなと新鮮に思った

っていうか今までそんなふうに思ったことってなかったから驚きました。

まあ今回とんでもなく(距離でいうと過去1と思う)席が近かったのでマイクに入った声を聞いてるというよりもうダイレクトに聞いてる感じやったし、歌ってる時の表情もぜんぶ見えていたので、「だからかな」と思ったけど、それでそう思わせるってことはそういうふうに歌ってるってことじゃないですか。

ファンへの愛というか、それを届けようという亮ちゃんの凄まじい気持ちを感じました

 

 

5. コノ世界ニサヨウナラ

 

 

6. オモイデドロボー

わたしたち(りょちゃんとファン)のラブソングことオモイデドロボー ※勝手にそう言ってますがこれは確信です

わたしたちの記憶に居座る君を君が上書き できるよ。

泣いた 隣の人も斜め前の人も泣いてた

 

"レシートに書く置き手紙"こと、タワーでアルバム買った時にもらえるレシート Noteは店頭に買いに行けなかったので手に入れられなかった

 

 

7. Middle Note

※ライブでは演らず、ここでムラサキ、狛犬

ムラサキとスケアクロウはセット たぶん

それは亮ちゃんのものすごい平等性のもとにあると思っている

逆に

スケアクロウだって外すことがあるかもしれないのに(いま一緒にいるのは"ムラサキ"だ)

スケアクロウを外さないのが凄まじく亮ちゃんだなと思ってめちゃくちゃ泣くのは、またあとの話

あとムラサキのときに手拍子させてくれたのが、優しいなと思った。それを「自分が自信がないから手伝って」と言ったのもものすごくかわいらしかった。すごいよ。

そして「もう大丈夫」と言って自分で歌った狛犬

狛犬、もう外せなくなりましたね。

そしてわたしは狛犬からもう涙が止まらなくなった

 

 

8. 微睡み

ライブではセンターマイクから離れて1番は下手、2番は上手に。

この時もすごいと思ったのは、上手にいるときは真ん中は見ず徹底的に上手を見る、下手にいるときは徹底的に下手を見る。相変わらず完璧です。

でまたラブソングをやたら客席見ながら歌う。それや!それ

 

 

9. Silence

でもいまの亮ちゃんの前には私たちがいる

たしかにまだ静かだけど

(MCの端端にあらわれる「キャー」と言われるものだと思っている亮ちゃんは、かわいい)

 

 

10. 若葉

急激に気づく。

若葉マーク

(自分が)とりたての免許で握るハンドル

(君が)行き先たずねることもなく

気づかないくらい背中押す

 

え?!われわれ?

え?!車?!あ...車...

 

Trafficとの対比になってるのは、今となってはなんで気づいてなかったのかわからないくらいで これはふつうにわたしがアルバムちゃんと聴いてなかっただろう、と反省しました。

偶然かもしれない?ぐうぜんかもしれないかなあ。同じ人が書いてるのに。

 

傷ついたトランクに削ぎ落とした現実

姿変え続ける夢..

 

 

11. スケアクロウ

最近、スケアクロウは"それ"だけじゃないかなあ、と思い始めていて、だから今回は、"そう"でなく聴こうと思ったのですが、生で聴いたらやっぱり"それ"だった。どうしようもなかった。

夢から醒めかけていたわたしをひっぱり戻す夢だった。いや、ほんとは夢じゃなく、かなしいくらいに現実でしょう。

わたしにとってはずっとスケアクロウは、やっぱり。

また意味わからんほど泣いた(※ずっと泣いてる)

ずっとスケアクロウ歌い続ける亮ちゃんがあまりにも絶対でものすごく絶対でものすごく絶対だと思った

(この件については理性がすぐ飛ぶ)

 

 

12. I don't understand 

この曲はさすがにアルバム聴いてる時点でなんの話してるかはわかってたのですが、

Tokyoholicから聴いてきて、オモイデドロボー、若葉、スケアクロウときてあらためてこれ聴くとやばかった、し、このあとのラストノートがまたものすごい

 

 

13. ラストノート

この曲は、アルバム聴いてる時点で、歌詞の意味がわからないと思っていました。

生で歌われてわかった気がした。その場でものすごく驚いた。

 

「高い場所から君をさがして手を振るよ」

高いところから?

そう思った瞬間、ラストノートの歌詞の階段を「降りる」「登る」もそういう比喩か?と思う

そしたら、もしかしてこれ..オブラートに包み倒した自分の話?

「上書きなんて軽く言わないで 消せそうにないんだ今の僕じゃ」

 

だからTokyoholicが入ってなきゃいけなかったのか。

 

Tokyoholic→オモイデドロボー→若葉→スケアクロウ→I don't understand ときて、

このラストノートか..と。

 

すみません、あんまりストレートに書きすぎるのもどうかと思ってめちゃくちゃぼやかしてるので伝わってるかどうかわからないのですが。

 

 

ちょっとすごすぎて。

にしきどりょうをここまで歌ってくれること

自分自身をここまで歌って、伝えてくれること

人生を見せてくれている。

「一緒に生きて」と言われてるようで。

あらためてそれを感じて、それをわたしは、「ものすごくアイドルだ」と思いました。

それは一般的にいう「アイドル」ではないかもしれない。

「アイドル」は、かならずや人を励ますものだと思ってる人だって多いかもしれない。

 

でもわたしは、わたしの価値観の中では、

「一緒に生きて」と表現してくれる亮ちゃんがものすごくアイドルだと思った。

もちろん、亮ちゃんがそう思ってて、ずっと亮ちゃんを応援してるからわたしもそう思うというだけの話かもしれないですが。

わたしはずっとそうやって応援してきた。

もちろん励まされている部分もある。あるけど、それだけじゃない。

 

 

亮ちゃんが前回「リアルタイムで見せないといけない」と言ったこと

今回、最初出てきて座ってるわたしたちを見て、せっかくなので立ってと「こう(スマホ)やって画面で見てるわけじゃないんやから五感で感じてください」と言ったこと

もうすべて、そのまま、ぜんぶ亮ちゃんが正しくて

 

そして、わたしは

亮ちゃんがいま、淋しくても

もしかしたら、間違えたと思っていたとしても

それでも

亮ちゃんがこうして、ひとりでもずっとわたしたちの前にいて、歌ってくれるから、感じられることがあります。

その歌は亮ちゃんが作った、亮ちゃんが伝えたいことを歌った歌で

いま、亮ちゃんがここにいて

わたしたちがここにいるから、

こうやって思えるのであって

だから、わたしはかなしかったり淋しかったり思うことはあっても、間違えたとは思いません。

 

亮ちゃんが、自己満足ではなく、伝えようと思って歌ってくれてるから伝わってくるんやと思う。

わたしはいまこのときに亮ちゃんが前に立って歌ってくれてることがほんとうにありがたいです。

 

 

あらためて今回のアルバムは

つよがりでもなく、嘘がなくそのまま歌ってくれてると思う

わたしたちと一緒に生きてくれる亮ちゃんは、

「一緒に生きて」と言ってくれているような亮ちゃんは

わたしにとっていちばんのアイドルです。

 

そしてあまりにも、絶対です。

 

 

今回、MCもすごく魅力的やったし、

近かったこともあって顔がよく見えたので、表情の機微とかも気づけることが多くて

そういう点で書きたいこともあるのですが、

長くなりましたのでこの記事はこれで上げようかと思います。

また時間があれば、レポっぽくはなりますが、MCのこととかも書こうかな

 

 

余談ですが

ラストノートに出てくる「ホワイトリリー」

別れたなにかそのものの香りではなく

階段を降りる途中で譲った人から香ったのがホワイトリリーなんですよ。

で、このホワイトリリーはどういう意味なのだろうかと思い、ホワイトリリーの練り香水まで買って(笑)考えたけどわからなかった。

でも生で聴いた後、上の解釈で考えると、ホワイトリリーは..そっか..降りるときすれ違ったジ●ニヲタの香りなのかもしれん..

想像です!!ごめんなさい!!

 

 

以上

あと、亮ちゃんが1時間半ずっと目の前で歌ったり話してるなんてはじめてのことだったので、18年目にしてなんか、溶けかけました。贅沢な時間だった。