201504110626

よしののウネコン、終了しました。

なんか終わってようやくきづいたけど、ウネだってちゃんとわたしのたいせつな存在だったようです。
まあ無自覚だっただけで、たいせつでなかったら4回も入るわけないんですけど、そもそも。
わたし自分はそのへんの見極めはちゃんとしてると思っているので、4回分当たってお金払ってそのまま4回入ったってことはもともと4回入るべきコンサートだと思ってたということですね。

それで4回入って。
やっぱり4月5日は断然に凄くて、今でもちょっとなんやったんかよくわかりません。
でも10日もすごくよかった。10日が最後で良かったです。席もよかったし。しあわせだった。



なんかちょっとおもいのほかしんどいです。
もう終わっちゃったから。
まだ行かないのになあひょくちえは。ただ
だいすきなだいすきなウネの2人の拍の取り方が微妙に違うずれたダンスを次観られることができるのは2年以上向こうになるのか、と、初日からずっと思っていて
わたしは10日、始まる前には「終わってしまう」とつぶやき、終わったあとには「終わってしまった」とつぶやいていました。
思っていたより随分しんどい。
考えれば考えるほどしんどくて、ついでにウネがすきだという気持ちがものすごく湧いてきます。
ああもうドンヘペンでもぜんぜんいける
なんか自分がよくわからなくなるくらいウネが好きでうにょげが好きでドンヘが好きで、もうほんとうに誰が好きなんだっけわたし、と思うくらい
わたしの123なんか絶対ゆるがないものなのになんかゆらいだのかもしれないって勘違いするくらいドンヘのこと好きで、某人と2人の間でぐらぐらしてた4は完全にひょくちえになった。
きのうの公演はほんとうに2人がかわいくて一所懸命で必死で必死で必死で、全力で全力で全力で、もうウネがだいすきで超プレッシャー歌い出しそうになります。マイクを上から吊るしてください。

さいたまの後にも書いたのですが、彼らは一番上までちゃんと埋まっているか、見ていて、それは城ホールでも一緒でした。
10日は立ち見がいました。彼らにはそれが見えていて、
最後の挨拶でウニョクが言ったのは
「この会場を去年と同じように埋めてくれてありがとうございます。」だった。
どれだけ強がっていても、ほんとうはそう思っているんだなあと思いました。
初日のガラガラの会場を見ていた。5日たまアリを埋めて嬉しそうな彼らを見ていた。9日まだ少しだけ余っている当日席を見、10日立ち見がいるのを確認し、喜んでいる彼らを見ていました。
誰よりも自分たちのことをよくわかっている。
落ち行く自分たちのことをよくわかっていることがものすごくあらわれてる一言だったからはっとしてしまいました。
でもそのあと続いたのは、「次にコンサートができるときも埋めてください」であって、「次にコンサートができるときまで、しあわせでいてください」だった。
ウネのことがこんなにこんなにこんなにこんなにだいすきなのはたぶん、ウネが絶対に帰ってきてツアーをしてやるって気合を見せてくれたからだと思う。
公演全部が本気で、全力で、必死だった。
言葉にはむらがあるけど、すべてに通じて流れている「行って帰ってきて、絶対またツアーをする」っていう2人の気持ちが感じられる。
だからだいすきなのだと思った。

そんで、ひょくちえはちゃんと、きのうその日が最後の人がいるということをわかっていてくれていて、
正直それまでの公演の感じだと(初日はちょっと例外ですが)、そういった言葉は期待できないと思ったのだけど、
ちゃんと言ってくれたからわたしは後悔なくこのツアーを終えられることができるのです。ありがとうひょくちえ。ウネがサードツアーを、ドームで公演を、できるときまで、わたしはきっとしあわせでいます。2年なんてどうってことないくらい、凄いコンサートだった。ありがとうウネ。ウネの代わりは誰にもできない。ウネが行っちゃったあとは、ウネを待つだけです。