読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

201511141457

韓国で聴いた奏の話

向こうで聴く奏はあまりあるほどに意味を持っていた。

ちょぎゅひょんの歌う日本語の歌の日本語の歌詞がこんなにひしひし響くなんてはじめてだった。

ぎゅの母国の小さい会場の、はじめてのソロコンサートのチケットはるばる隣国から取って飛行機乗ってきて、あたりまえにぎゅが、それでも理由をのべながら韓国語で話す何を言ってるのかは不勉強なわたしにはほとんどわからなくて、
そんなことあたりまえなのに、また今度は理由をのべものすごく前置きをたくさん置きながら、中国語の歌と日本語の歌を歌ったその中国語の歌はまたわからなかったけど。
あからさまに日本語がぱっと出てこないふりをしばらくしたあとぎゅが「みなさんのために曲を用意しました」と流暢な発音で言った。
奏を選んだ理由をまた韓国語でにこにこ説明していた断片的に聞き取ったのは「スーパーショーの日本公演で歌った中で」「DVDに入っていてよくみてる」「メロディーが綺麗」
またそうやって理由を述べて、奏をむりやりここにねじこむちょぎゅひょんぷろが琴線にふれた。

彼は「メロディーが綺麗」とたしかに言いました。
でもほんとうにメロディーが綺麗だからといって選んだのかな

「おさえきれない想いをこの声にのせて
遠く君のまちへ届けよう たとえばそれがこんな歌だったら ぼくらはどこにいたとしてもつながっていける」

わざとでしょう?

聴いていてハッとして、ハッとしてたら隣の本国ペンが、スクリーンに写った韓国語訳見て泣いてた。
意味が深すぎる。



ぷろのした仕事がどうにも平等で、誰も傷つかないように細部何の隙もなく計算されていて、バランスの取る場所があまりにも完璧だった。

こっちが勝手に海わたって行ってるだけなんだから、もうすこしないがしろにしてくれたっていいのに。
なんでそんなに優しいの?

昔東京ドームで聴いた奏を思い出した
あの頃よりも数段歌のうまくなったギュの奏を、今、本国で歌うギュの奏を聴くことができて、ほんとうにありがたかった。

なんであんなに大切にしてくれるんだろう。いままで生きてきて一度も思わなかったたくさんのことを、ギュをみていると思う。

誰ひとり傷つかないようにすべてのえるぷの立場に立ってよくよく考えてすべてを作ってくれている、
ステージに立っているぎゅを見ていると、たぶんある程度彼の考えでこのステージはできているようで
そう思うと、ぎゅがやはり一所懸命考えた結果がこの優しい公演だったのかな。


たまにおそろしくおもってしまうほどに、ぎゅはえるぷのことをよく知っていて、えるぷが思う以上にえるぷの立場に立って考えてくれてる。
だからみんなギュのこと好きなんだろうな。
会場の空気、ほんとうに甘かった。とろとろだった。


今のわたしは日本語さえも足りなくて、何も伝えられてない気がするけど、ほんとうにたくさんのことを思った。
わたしがどこかにおいてきたいろんな感情をぎゅが拾って持ってきてくれてるみたい、ありがとう。


あの場で奏が聴けてよかった。

でも今度は日本で会えるといいな。