201603300018

先日、人に、THIS IS LOVEの頃のはなしをぼんやりとしたら、なんでそんなにまでして、と言われた。それでもすじゅを捨てたくなかったのはわたしの意志なはずなのに、なんでと問われると答えられなかった。やめたくなかったからやめない方法を探した、それ以上はなかった



でもあの頃ああやってなんとかおもしろがろうと必死になったおかげで、アイドルヲタクとして、上がらなくていいレベルが1つ上がった気がする。
だからこそ、今ぷろのツアーが怖くてでもたのしみで、一度しかない刹那を全力で楽しもうと思える。



っていうかそもそもあんなことにならなかったら、なんとなくスジュ終わってたかもしれないんじゃない?と未だにわたしはそっち派です。
レーベルがいつから考えられてたかなんて噂知って言ってます。感覚値。情報はいつでも30%レベル。

でもりょうくが言っていたようにほんとうにいつでも出ていけるような勝手に生きていけるような人間ばかり(りょくでが言ってたのはここまで)、現実適当勝手に生きていこうとしていた時期もあったわけで(当社比)
辛い時期を越えたら、なんか今みたいになってた。みたいな。(わたしの感覚)

結果オーライだと今は思ってる。もちろんこのあとはしらない。まだあと2年で3回ぐらいは地獄みると予測してるけど、それでも、今は結果オーライだと。


わたしにとっては、「やめないという意志」が絶対なので
あの喧嘩は「やめない」と「やめない」の喧嘩だったから(たぶんね。想像ね)
だからまだおもしろがって越えることができたんだろうな。

さかのぼってみるとわかりますが、わたしは発覚当初「もうえるぷできないかも」なんて言ってました。
みんなが手を離したSS6(東京〜大阪)で、わたしは逆に意地になってしまった
それは、ミンがやめたくないのがわかったからなのかな、もう忘れたけど。
あの頃、予測とメディアと実態と、いろいろ見て、見倒して、ずっと、ある日のキュミンヒョクの3ショットにずっと首かしげてたことをかわりに思い出した。




7集をよく聴くんだけど
えばんす聴いてたらふと思い出したので
書いてしまいました。

東京に引っ越して、SWINGのカムバを興奮して追っていたのがもう2年前。
ウネコンに3回入ったのがもう2年前。

まだ東京にいて、チョギワのカムバに泣いていたのがもう1年前。
ウネコンに4回入ったのがもう1年前。

きっとすぐにまた全員揃って、
こんないつかの喧嘩の話は、ほんとうに文字通り思い出話になるんだろう
ならなきゃ困る
ミンはもうちょっとだけ我を崩して、その件で馬鹿にされるぐらいの器を作って帰ってこいと思います。
粘った人間が笑い飛ばせるように土台ぐらいは組んでおいて、それぐらいはして?